江川 英龍(えがわ ひでたつ)[号:坦庵]の掛け軸 コレクション

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「両潤」とは、「富は屋を潤し、徳は身を潤す」が語源です。「富は屋を潤し、徳は身を潤す」(大学)や渋沢栄一先生の「論語と算盤」は「経営再建プログラム」の考え方の柱になっています。  江川英龍は、韮山反射炉を作った男。  韮山反射炉は、現存する反射炉本体のみで完結していたのではなく、関連する様々な建物群や隣接する河川からなる大砲製造工場として産業システムを形成していた。特に鑽開(さんかい)と呼ばれる河川の流水を動力源として水車により大砲を回転させ、錐により砲身をくり抜くシステム(錐台)を備えていた。その当時の模様は、平成28年(2016年)12月にオープンしたガイダンスセンター展示映像の大砲製造の想像復元CGで見ることが出来る。幕末期の日本では、各地に反射炉が築造されたが、そのほとんどが取り壊され現存するのは萩と韮山の反射炉のみ。特に韮山反射炉は、1857年から64年まで実際に稼働し、大砲を鋳造した反射炉である事が大きな特徴となっている。  また英龍は、多方面に才能を発揮した人物として知られる。国防上の観点から兵士の携行食としてパンの効用に注目、日本で初めてパン(堅パンに近いもの)を焼いた人物として知られる。邸内には、初めてパンを焼いた際のパン窯も残存している。日本のパン業界からパン祖と呼ばれ、伊豆の国市では毎年1月に江川英龍の功績を称え、「パン祖のパン祭り」を開催、全国高校生パンコンテストも同時開催されている。  また、韮山江川邸近隣の金谷村の農民を集めて訓練し、日本初の農兵部隊を組織したとされる。農兵の訓練は江川邸表門前の枡形、後に韮山代官所三島陣屋(現在の三島市)で行われた。今でも日本中で使われる「気をつけ」、「右向け右」、「回れ右」等の掛け声は、英龍が一般の者が使いやすいようにと、オランダ語から日本語に訳させたものである。  この故事にあやかり、昭和初期に平井源太郎により当時横浜で流行していた「ノーエ節」を「農兵節として作ったのが、三島夏まつりを彩る「農兵節」である。  かなり保存状態は悪いですが、表装して頂ければ立派な掛け軸として復活すると思います。床の間などに飾って下さい。

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